事故を起こした福島第一原発で
南北に分断された福島県の浜通り。
その分断された北側の南相馬市原ノ町で、
震災後も産婦人科・内科の医師として、
分娩を含む被災地の医療を守って来た
一人の医師がいる。
原町中央産婦人科医院
(福島県南相馬市原町区橋本町1丁目3−2)
の理事長 高橋 亨平 先生。
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/
その先生が癌に冒され、一人で維持してきた
医院を閉じる瀬戸際となり、
引き継いでくれる医師を探しているという
ニュースを、先ほどNHKで紹介していた。
私にはHPの片隅にある
「2012/8/12 私の体の現状と医師募集のお願い」
の(PDF)を紹介することしかできません。
皆さん、読んでください。
そして拡散紹介してあげて下さい。
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/isibosyuu.pdf
私の体の現状と医師募集のお願い
平成24年8月12日
医療法人誠愛会
原町中央産婦人科医院
理事長 高橋 亨平
外なる敵と戦っている間にも、癌という内部の敵は
決して手加減はしてくれなかった。
そして又、抗がん剤の副作用に耐えられなく、
もう治療はやめようと思い、
やめてしまった人もたくさんいると聴いた。
確かにその理由も分かった。
自分でも、何のためにこんな苦しみに
耐える必要があるのかと、
ふと思う時がある。
しかし、この地域に生まれてくる子供達は、
賢く生きるならば絶対に安全であり、
危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから
守ってやらなければならない。
そんな事を思いながら、もう少しと思い、
原発巣付近の痛み、出血、の緩和のため、
7月25日から、毎日放射線治療を開始、
通院している。
午前9時から12時まで自医院の外来診療、
その後、直ちに車に乗り
1時間20分かけて、福島医科大学放射線治療科へ、
そこでリニアック照射を受け、直ちに帰り、
3時から再び自医院の外来診療を6時まで、
しかし、遅れる事が多かったので、
最近は3時から4時に変更した。
そんな私の我侭に対しても、
患者さん達は何も言わずに、
ちゃんと待っていてくれた。
それでも、多い日は100人以上、
少ない日でも70人は下らない。
産婦人科医でありながら若き日の信念から、
全人的医療(holistic medicine)
を目指し、現在に至っている。
原発事故後、分娩できる施設が無かった
南相馬市も、南相馬市立病院の産婦人科、
西潤レデイスクリニック等
今年の4月から分娩を開始した。
私の役割は終わったと思ったが、
どうしてもという患者さんは断れない。
もういいかなとふと頭をよぎる誘惑に、
頑張っている20名の職員の笑顔がよぎる。
こんな医療法人誠愛会から
全国のドクターにお願いがしたい。
こんな診療所ですが、勤務していただける
勇気あるドクターを募集します。
分娩は止めて、ももう大丈夫だし、
婦人科、内科、消化器科、循環器科、
総合診療科、なに科でも結構です。
広く学ぼうとする意思と実践があれば充分です。
癌との闘いながら、頑張ってきたが、
あまくは無いなと感じることが多くなってきた。
何時まで生かられるか分からない・・
神の思し召すままに・・
と覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、
もし、後継者がいてくれれば
と願ってやみません。
私の最後のお願い、
どうか宜しくお願い致します。
※連絡は下記へ、忙しい時間帯は
対応出来ない事もあります。
電話:0244-24-3355
(自宅も、かしの木ホールも、職員寮も転送可能)
FAX:0244-24-6910
「うろうろドクター」さんも
ブログに書かれていますので、
ご参考までに。
『命を懸けて患者を助ける産婦人科医の最後の依頼 』
南相馬市 自らも癌。命を懸けて患者を助ける
産婦人科医の最後の依頼
南相馬市のある産婦人科医の戦い
医療法人誠愛会・原町中央産婦人科医院の理事長である
高橋亨平さんは自らが癌と闘いながらも
毎日多いときは100人以上、少ない時でも
70人は下らないという多くの患者の治療を続けている。
高橋さん自身は7月25日から
毎日放射線治療のために通院している。
午前中、自分の医院の外来診療を終えたあと、
車で福島医科大学放射線治療科まで急ぎ、
放射線治療をする。
その後はまた医院へとんぼがえりし、
午後4時から6時まで再び患者たちの診療にあたる。
南相馬市という東日本大震災で甚大な被害を受け、
いまだに原発の恐怖から抜けることのできない
この地域で彼が命をかけて戦う理由は
いったいどこにあるのだろうか?
高橋さんは言う。
この地域に生まれてくる子供達は、
賢く生きるならば絶対に安全であり、
危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから
守ってやらなければならない。
高橋さんのこの戦いは自分のためではなかった。
この地域でこれから生まれまた育っていく
次の世代へと笑い声と希望にあふれた
未来を託すために今自分にできる
精一杯のことをしているのだ。
自分の治療を続けながら、
患者と向き合っていくことは
生半可な決意や根性で
達成できることでは決してない。
南相馬市は原発事故の後、
分娩できる施設がこの医院以外になかった。
しかし、今年の4月から新しく分娩ができる病院が
2つ与えられ、彼は自分の役目はもう終わり、
自身の治療に集中できるのではないかとも考えた。
彼をそうさせなかったのは自分を待っていてくれる、
自分を必要としてくれる患者がいるからだ。
また、困難を共にしてきた20名の職員がいるからだ。
彼らの笑顔が高橋さんを前に進ませる
原動力になっている。
2012年08月30日
PM01:00 Q Life Pro医療ニュース
南北に分断された福島県の浜通り。
その分断された北側の南相馬市原ノ町で、
震災後も産婦人科・内科の医師として、
分娩を含む被災地の医療を守って来た
一人の医師がいる。
原町中央産婦人科医院
(福島県南相馬市原町区橋本町1丁目3−2)
の理事長 高橋 亨平 先生。
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/
その先生が癌に冒され、一人で維持してきた
医院を閉じる瀬戸際となり、
引き継いでくれる医師を探しているという
ニュースを、先ほどNHKで紹介していた。
私にはHPの片隅にある
「2012/8/12 私の体の現状と医師募集のお願い」
の(PDF)を紹介することしかできません。
皆さん、読んでください。
そして拡散紹介してあげて下さい。
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/isibosyuu.pdf
私の体の現状と医師募集のお願い
平成24年8月12日
医療法人誠愛会
原町中央産婦人科医院
理事長 高橋 亨平
外なる敵と戦っている間にも、癌という内部の敵は
決して手加減はしてくれなかった。
そして又、抗がん剤の副作用に耐えられなく、
もう治療はやめようと思い、
やめてしまった人もたくさんいると聴いた。
確かにその理由も分かった。
自分でも、何のためにこんな苦しみに
耐える必要があるのかと、
ふと思う時がある。
しかし、この地域に生まれてくる子供達は、
賢く生きるならば絶対に安全であり、
危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから
守ってやらなければならない。
そんな事を思いながら、もう少しと思い、
原発巣付近の痛み、出血、の緩和のため、
7月25日から、毎日放射線治療を開始、
通院している。
午前9時から12時まで自医院の外来診療、
その後、直ちに車に乗り
1時間20分かけて、福島医科大学放射線治療科へ、
そこでリニアック照射を受け、直ちに帰り、
3時から再び自医院の外来診療を6時まで、
しかし、遅れる事が多かったので、
最近は3時から4時に変更した。
そんな私の我侭に対しても、
患者さん達は何も言わずに、
ちゃんと待っていてくれた。
それでも、多い日は100人以上、
少ない日でも70人は下らない。
産婦人科医でありながら若き日の信念から、
全人的医療(holistic medicine)
を目指し、現在に至っている。
原発事故後、分娩できる施設が無かった
南相馬市も、南相馬市立病院の産婦人科、
西潤レデイスクリニック等
今年の4月から分娩を開始した。
私の役割は終わったと思ったが、
どうしてもという患者さんは断れない。
もういいかなとふと頭をよぎる誘惑に、
頑張っている20名の職員の笑顔がよぎる。
こんな医療法人誠愛会から
全国のドクターにお願いがしたい。
こんな診療所ですが、勤務していただける
勇気あるドクターを募集します。
分娩は止めて、ももう大丈夫だし、
婦人科、内科、消化器科、循環器科、
総合診療科、なに科でも結構です。
広く学ぼうとする意思と実践があれば充分です。
癌との闘いながら、頑張ってきたが、
あまくは無いなと感じることが多くなってきた。
何時まで生かられるか分からない・・
神の思し召すままに・・
と覚悟は決めていても、苦しみが増すたびに、
もし、後継者がいてくれれば
と願ってやみません。
私の最後のお願い、
どうか宜しくお願い致します。
※連絡は下記へ、忙しい時間帯は
対応出来ない事もあります。
電話:0244-24-3355
(自宅も、かしの木ホールも、職員寮も転送可能)
FAX:0244-24-6910
「うろうろドクター」さんも
ブログに書かれていますので、
ご参考までに。
『命を懸けて患者を助ける産婦人科医の最後の依頼 』
南相馬市 自らも癌。命を懸けて患者を助ける
産婦人科医の最後の依頼
南相馬市のある産婦人科医の戦い
医療法人誠愛会・原町中央産婦人科医院の理事長である
高橋亨平さんは自らが癌と闘いながらも
毎日多いときは100人以上、少ない時でも
70人は下らないという多くの患者の治療を続けている。
高橋さん自身は7月25日から
毎日放射線治療のために通院している。
午前中、自分の医院の外来診療を終えたあと、
車で福島医科大学放射線治療科まで急ぎ、
放射線治療をする。
その後はまた医院へとんぼがえりし、
午後4時から6時まで再び患者たちの診療にあたる。
南相馬市という東日本大震災で甚大な被害を受け、
いまだに原発の恐怖から抜けることのできない
この地域で彼が命をかけて戦う理由は
いったいどこにあるのだろうか?
高橋さんは言う。
この地域に生まれてくる子供達は、
賢く生きるならば絶対に安全であり、
危険だと大騒ぎしている馬鹿者どもから
守ってやらなければならない。
高橋さんのこの戦いは自分のためではなかった。
この地域でこれから生まれまた育っていく
次の世代へと笑い声と希望にあふれた
未来を託すために今自分にできる
精一杯のことをしているのだ。
自分の治療を続けながら、
患者と向き合っていくことは
生半可な決意や根性で
達成できることでは決してない。
南相馬市は原発事故の後、
分娩できる施設がこの医院以外になかった。
しかし、今年の4月から新しく分娩ができる病院が
2つ与えられ、彼は自分の役目はもう終わり、
自身の治療に集中できるのではないかとも考えた。
彼をそうさせなかったのは自分を待っていてくれる、
自分を必要としてくれる患者がいるからだ。
また、困難を共にしてきた20名の職員がいるからだ。
彼らの笑顔が高橋さんを前に進ませる
原動力になっている。
2012年08月30日
PM01:00 Q Life Pro医療ニュース
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