最近、医療訴訟とかトンデモ判決で、
ブログのネタになるような記事が
減っているような気がするんですが。
やっぱり、気のせいではないんですね。
年々、医療訴訟の数も減っているし。
トンデモ判決も減っているそうです。
日系メディカルに書いてありましたので、
ちょっと引用させてもらいますね。
日経メディカル2010年11月号「特別対談」(転載)
この10年の医療訴訟のトレンド
今年6月、本誌の好評連載「医療訴訟の『そこが知りたい』」
に掲載した判例を中心に、
注目の47判例を解説した書籍を発刊した。
弁護士7人の執筆陣の中から平井利明氏と
桑原博道氏にご登場いただき、医療裁判史上、
激動の10年間を振り返ってもらった
(前・後編の2回に分けて掲載します)。
(司会は本誌副編集長・豊川琢)
_____________________________________
──連載「医療訴訟の『そこが知りたい』」
が1冊の本になりました。
何か感じた点はありますか。
桑原 古い判決を集めた判例集は
ほかにもありますが、本書は、
ここ10年ほどの裁判例を満遍なく取り上げ、
医療裁判のトレンドを理解できるように
仕上がったと思いました。
世間の医療不信が高まるきっかけとなった
事件も網羅しており、あらためて読んでみて
私も勉強になりました。
平井 医療ミスの有無を争った判例以外にも、
カルテ開示や医師の過労死などに関する
判例も盛り込まれており、医療現場において
それぞれの時代で何が問題になってきたのかを
把握できる書籍になったのではないでしょうか。
そもそも裁判の内容には、その時代の
世間の問題意識が反映されます。
こうした動向を感じ取れると思います。
医師の権威が失墜した10年
──印象に残った判例は。
桑原 やはり、47判例の中でも注目判決として
取り上げた横浜市立大の患者取り違え事件(※1)と、
都立広尾病院の注射器取り違え事件(※2)です。
当時は医療界に限らずあらゆる業界で、
安全と思われていたものが崩れた
時代ではなかったでしょうか。
代表的なところでは、2000年に起きた
雪印乳業の集団食中毒事件(※3)があります。
医療においては、横浜市立大事件と
都立広尾病院事件によって安全神話が完全に崩れ、
医師や医療機関の権威が失墜しました。
さらに、患者の権利意識の高まりも加わって、
2000年代前半には医療訴訟件数が
急増していきました。
平井 世間の医療に対する不信を高めた
一因として、マスコミ報道もあるでしょう。
患者の死亡といった悪い結果が生じると、
すぐに医療機関の体質や医師の技量を
問題視し、“医療たたき”に近い報道を重ね、
世間の医療不信に拍車をかけた。
私は、「医療現場の実態が分かっていない」と、
憤りを感じながらいくつかの
ケースの報道を見ていました。
そんな中で医療界の不満が爆発したのが、
04年に生じた福島県立大野病院事件
(※4)だと思います。
産科医が臨床上標準的な医療を行ったのに
業務上過失致死罪に問われたことに対し、
医療団体など医療界全体が抗議しました。
この事件は、産科医が無罪となり検察も
控訴を断念したため、医療界は安堵しました。
実は産科医への刑罰についての判決以上に
われわれが注目したのが、
医師法21条に定められた
警察への異状死の届け出義務に関する
福島地裁の判断でした。
かつては、「医療過誤で
患者が死亡すれば必ず警察に
届け出なければならない」と思っていた
医療者は多かったのですが、
都立広尾病院事件で最高裁は異状死について、
「死体の外表に異状があった場合」と提起した
高裁判決を維持し、一定の方向性を示しました。
ところがそれでも、手術で腹部を切開していれば
「外表の異状」と考え、過誤がなくても
届け出なければならないのかなど、医療者が
判断できない部分が少なくなかった。
それが福島県立大野病院事件で福島地裁は、
患者の死亡の原因を「癒着胎盤」という
疾病と認定し、「過失なき医療行為を
もってしても避けられなかった結果なので、
異状と認められず届け出義務はない」
と、一歩踏み込んだ判断をしました。
つまり、「診療中の患者が診療を受けている
当該疾病によって死亡した場合は
異状死に当たらない」と判示したのです。
編集部注
※1:1999年に、患者2人を取り違えたまま
気付か手術を実施し、医師らの
注意義務違反が問われた事件。
※2:99年に、看護師が誤って消毒液を点滴し、
患者が死亡した事件。
異状死として届け出なければならない
事例の範囲も問題になった。
※3:2000年に雪印乳業の低脂肪乳を
飲んだ子どもらが嘔吐や下痢を
訴えたことで事件発覚。
最終的に約1万5000人が
食中毒になったと認定された。
※4:04年に、産婦が胎盤剥離の際に失血死し、
大量出血の恐れを認識しながら漫然と
胎盤を剥離したとして産科医が
検察に起訴された事件。
裁判所が異状死の
届け出義務についても言及した。
医療側の努力も訴訟減の一因
──福島県立大野病院事件の判決を境に、
医療訴訟の件数が
減少に転じたように感じますが。
平井 以前は、「医療は安全・安心なもの」
という幻想がありました。
そんな中、救急患者の“たらい回し”
事件などを機にマスコミも国民も
医療への不信感を強めたのです。
それが、医師不足など医療崩壊が
起きていることが、徐々に世間に認識されるように
なってきたのではないでしょうか。
実際、福島県立大野病院事件では、
逮捕された産科医が、医師不足のため
1人医長として勤務していた実態
などが広く知られました。
マスコミも一時期に比べると、“医療たたき”を
前面に出した報道をしなくなってきています。
桑原 医療側の医療安全への意識も
全く違ってきています。
横浜市立大事件を機に、医療ミスや診療に関する
患者との認識の違いを減らそうと努力する
医療機関が増えました。
万一医療事故が起これば、院内に調査委員会を
立ち上げて原因を調べる取り組みは
かなり一般的になっています。
患者に診療の方針や経緯を詳しく説明したり、
カルテに診療内容をしっかり書いたりすることも
医師の間に浸透してきました。
結果、「これはひどい」と感じるような医療事故が
減ったほか、医療側と患者側の事故に対する
認識の違いも埋まりつつあり、
訴訟に発展するケースが
少なくなっているように思います。
──患者が提訴する内容にも変化が見られますか。
桑原 裁判の争点は訴えた患者側が
設定することになるのですが、以前は、
医療側が「なぜこれで訴えられるのか」
と感じるおかしな争点がかなり多かった。
そうしたケースが最近ではだいぶ減っています。
患者側の弁護士もカルテを精査したり、
第三者の医師に相談したりして、
医療の実情を勘案して
争点を示すようになりました。
ただ、法曹人口の急増に伴い、医療知識が
あまりない弁護士が弁護を担当する例も増え、
的外れな争点が設定されて、
裁判で不毛な議論が延々と続くことも
依然としてあります。
弁護士の質によって二極化してきているのが
現状でしょうか。
平井 そうですね。単に
「患者はかわいそうだから助けてあげたい」
という思いから、安易に医療訴訟の
弁護を引き受ける弁護士もいます。
裁判の中で病院側が一番困るのが、
不毛な議論です。
医師はただでさえ忙しいのに、
それに付き合わなければいけないことほど
無駄なことはない。
その時間を多くの患者の診療に当ててもらいたい
というのが私の思いです。
弁護士も医療訴訟の弁護を手掛けるのであれば、
経験豊富な弁護士の指導を受けるべきです。
“トンデモ判決”は減ってきた
平井 裁判所も、医療者をどん底に陥れるような
理解しがたい判決を下さないでもらいたい。
医療者が「そんなことで裁判に負けるのか」
と思ってしまうと、萎縮医療につながってしまいます。
それはひいては、患者の不利益にもなるわけです。
桑原 雑談していると、
こんなことを言う医師がいます。
「提訴された裁判についての書類が
勤務先の事務部門から届くと、
非常にがっかりしてモチベーションが下がる」と。
本書では、裁判所がどのような根拠に基づいた
診療を重視して判決を下したのかを
分かりやすく解説したつもりです。
多くの医師が本書を読み、
常に「根拠」を意識しながら
診療に携わってもらえるようになれば、
私も執筆にかかわってよかったと思います。
また、医療者の教訓になる裁判例だけでなく、
教訓にならない判決を盛り込んだ点も
役立つと考えています。
──判決内容も以前とは
だいぶ変わってきているようです。
桑原 裁判官が医療側の主張に耳を傾けるように
なりつつあるように感じます。
患者の死亡といった悪い結果や理想論だけから
判断されたら医療側は負けてしまう。
それが最近は、医療側にも何か理由があって
こう判断したのではないかと、考えを巡らす
裁判官が増えているのではないでしょうか。
結果、“トンデモ判決”が
目立たなくなっているようです。
平井 ただ、“トンデモ判決”を下す裁判官は
依然として存在するのは事実です。
こうした裁判官は常に不可解な判決を出すようで、
そういう実態があることも本書には記しました。
──過失と医療事故との因果関係の考え方も、
この10年でだいぶ変わってきました。
桑原 昔は、医療行為が
医療水準に反しているかどうか、
つまり過失があるかどうかが裁判で
重点的に検討されていました。
ただ、過失があったとしても、それが原因で
患者が死亡するといった
悪い結果が生じたのでなければ、医療側は
法的責任を負う必要はありません。
この「因果関係」が認められるには、
過失によって悪い結果が生じたという
「高度の蓋然性」、つまり高い可能性
証明することが従来から求められてきました。
ところが、診療した時点では既に回復しがたい
疾患に侵されていた場合など、
患者側がこの「高度の蓋然性」を
証明するのはかなり困難が伴います。
それができなければ、患者側は全く
損害賠償を請求できなくなります。
そこで2000年代に入り最高裁が判決で
言及し始めたのが、
「相当程度の可能性」という理論です。
過失と悪い結果との間に
「高度の蓋然性」はないが、その可能性が
相当程度あると証明されれば、
数百万円程度の慰謝料を認めるとしたのです。
不可解な「相当程度の可能性」
平井 ところが、この概念が非常に分かりにくい。
「高度の蓋然性」といえば80、90%程度の可能性
と考えられていますが、それでは
「相当程度の可能性」は何%なのか。
20%なのか、50%なのか。
法律家である私たちも分からない。
最高裁は、「相当程度の可能性」を因果関係の
程度ととらえておらず、それ自体を新たな法益
と考えています。
「悪い結果を回避できた高い可能性がなくても、
その可能性があること自体が利益だ」と。
ただ、その利益があることを
どうやって証明するのかと考えると、
結局、過失がなければ悪い結果を回避できた
程度が何%あったのかが必要になっちゃう。
桑原 現実は、裁判所が「エイヤッ」
と決めているような感じですよね(笑)。
平井 医療行為に過失があったら、
それを放置していいのかという、
裁判官の思いもあったのでしょう。
桑原 「相当程度の可能性」理論が出て以降、
「和解を進めやすくなった」
と話していた裁判官がいました。
「落ち度があったのだから、因果関係が
証明できないとしても
多少の賠償をしてくださいよ」と、
医療側に言いやすくなったそうです。
平井 過失と結果の間に確固とした
因果関係がないんだから、
ある意味、感覚論ですよね。
2000年代以前に、適切な医療を受けることを
期待する権利が侵害されたとして、
若干の損害賠償請求を認める「期待権」
理論がありましたが、「相当程度の可能性」
はその理屈を変えた感じでしょうか。
でも、かえって分かりにくくなった
と私は思います。
医療裁判をするときには、
患者側は弁護士費用など
それなりのコストをかけています。
悪い結果との関係はともかく、落ち度のある
医療行為を行った医療側が、その経費を補填しても
いいのではないかという感覚があるようです。
「相当程度」の適用は拡大?
平井 今後は、「相当程度の可能性」
理論がどのような悪い結果まで
適用されるのかが問題でしょう。
桑原 現在は患者が死亡した場合と、
重大な後遺障害が残った場合に適用された
最高裁判例がありますが、
より軽度な後遺障害にまで
対象が広がる可能性もあります。
平井 東京地裁の裁判官が、
「重大な後遺障害に限らず後遺症が発生した
場合でも、『相当程度の可能性』が証明されれば
適用していいのではないか」
と書籍に記しています。
これを考慮すると、医療行為を受けた患者に
何かしらの実害があれば適用される
可能性はあると思われます。
ただその場合、後遺障害の程度が
何等級までなら認めるのか、ミスと思わしき
医療行為があったら軽微な後遺障害でも
損害賠償の対象となるのか
──などの問題が残ります。
桑原 適用される範囲に限度が
なくなる可能性もありますね。
──今後のその行方によっては、医療訴訟の
件数がまた増えていく可能性はありますか。
平井 軽微な後遺障害であれば、
過失と悪い結果との因果関係が
認められても損害賠償額は
それほど高くはなりません。
だとすれば、仮に「相当程度の可能性」
理論の対象が広がっても、軽微な後遺障害では
患者側の訴訟費用を補填できるほどの
賠償額になるとは考えにくいので、患者側が
提訴しようと考えるのは
どこかで限度があると思います。
しかし、対象範囲があまりにも広がり、
例えば後遺障害が発生しないときでも、
医療側がやるべき医療行為を
しなかったからといって賠償責任が
認められてしまうと、悪い結果の有無を
問わないことになってしまう。
これはかなり恐ろしいことではないでしょうか。
こうした判断をしないように、
裁判官にはお願いしたいと思います
(後編に続く)。
(2010年10月18日東京都内で収録)
『日経メディカル、2010. 12. 9』
記事にも書いてありましたけど。
医療訴訟自体は、昔からあるんだけど。
マスコミ等で全国に広まって有名になったのは、
1999年に起きた横浜市立大事件と
都立広尾病院事件の後。
その後、いろんな医療訴訟が起きて。
マスコミの医師叩きもひどくなって、
一番ピークになったのが、2004年の
福島大野病院の事件だと思います。
その後、医師ブログ等で仕方ない、
等の意見が徐々に出てきて。
救急車の「たらい回し」とか、
そういう言葉もはやったんだけど。
結局、原因なのは医師不足とか医療費不足。
そういうのもあって、現場は大変なんだ。
という事が徐々にマスコミでも報道されて、
世間にも広まってきた。
そして、医療訴訟やトンデモ判決も減ってきた、
という事なんだと思います。
最近は、「某大新聞」 v.s. 「某有名大学」
とか、そういうマニアックな戦いが
一部では盛り上がっているようですが。
それも訴訟がらみではありますけど、
基本的には医療訴訟とは違いますしね。
自宅で分娩していろいろあって、
最後に助けようと思った病院が悪者にされている、
っていう医療ネタはありますけど。
まだ訴訟にはなってないみたいですし。
医療訴訟、医療ネタの話というのは、
新聞やテレビ、ネットの記事になっているのを
我々医療関係者が見て、それを解説する。
というのが、医師ブログの基本スタンスなんですけど。
一番ネックになるのは、情報不足なんですよ。
結構、医療関係者のネットワークというのがあるから、
記事になっていない情報が入ってきて、
それも参考にしてブログの記事を書く、
という事もあるんですがね。
それでも、どこまで信用して良いのかわらない、
というのがあって、なかなか難しいんですよね。
自分でも、今更ながら、良く書いてたな、
と思いますね、ホント。
今でも、バリバリ毎日の様に記事を更新している
医師ブロガーもいますけど。
尊敬しちゃいます。
絶対、すごい忙しいと思うのにね。
個人的に、医療訴訟で一番記憶に残っているのは、
「福島大野病院」の事件です。
担当の医師が無罪判決を勝ち取ったのは、
約3年前なんですけど。
この時に、裁判所には入れませんでしたけど、
福島地裁まで行きましたからね、私。
それと、ブログが炎上した「奈良大淀病院」の件。
今、どうなっているんでしょうか。
ちょっと、良くわかりませんけど。
この2つが個人的には、最も印象に残る
医療訴訟の事件です。
どちらも、医療崩壊が最も進んでいる、
と言われている「産科」の話だ、
というのは偶然ではないと思います。
ちなみに、この記事で取り上げられていた本。
「医療訴訟の『そこが知りたい』」
これ、かなりおもしろいので、
皆さんも是非読んでみてね!
ちょっと高いけど。
「医療訴訟の『そこが知りたい』」
ブログのネタになるような記事が
減っているような気がするんですが。
やっぱり、気のせいではないんですね。
年々、医療訴訟の数も減っているし。
トンデモ判決も減っているそうです。
日系メディカルに書いてありましたので、
ちょっと引用させてもらいますね。
日経メディカル2010年11月号「特別対談」(転載)
この10年の医療訴訟のトレンド
今年6月、本誌の好評連載「医療訴訟の『そこが知りたい』」
に掲載した判例を中心に、
注目の47判例を解説した書籍を発刊した。
弁護士7人の執筆陣の中から平井利明氏と
桑原博道氏にご登場いただき、医療裁判史上、
激動の10年間を振り返ってもらった
(前・後編の2回に分けて掲載します)。
(司会は本誌副編集長・豊川琢)
_____________________________________
──連載「医療訴訟の『そこが知りたい』」
が1冊の本になりました。
何か感じた点はありますか。
桑原 古い判決を集めた判例集は
ほかにもありますが、本書は、
ここ10年ほどの裁判例を満遍なく取り上げ、
医療裁判のトレンドを理解できるように
仕上がったと思いました。
世間の医療不信が高まるきっかけとなった
事件も網羅しており、あらためて読んでみて
私も勉強になりました。
平井 医療ミスの有無を争った判例以外にも、
カルテ開示や医師の過労死などに関する
判例も盛り込まれており、医療現場において
それぞれの時代で何が問題になってきたのかを
把握できる書籍になったのではないでしょうか。
そもそも裁判の内容には、その時代の
世間の問題意識が反映されます。
こうした動向を感じ取れると思います。
医師の権威が失墜した10年
──印象に残った判例は。
桑原 やはり、47判例の中でも注目判決として
取り上げた横浜市立大の患者取り違え事件(※1)と、
都立広尾病院の注射器取り違え事件(※2)です。
当時は医療界に限らずあらゆる業界で、
安全と思われていたものが崩れた
時代ではなかったでしょうか。
代表的なところでは、2000年に起きた
雪印乳業の集団食中毒事件(※3)があります。
医療においては、横浜市立大事件と
都立広尾病院事件によって安全神話が完全に崩れ、
医師や医療機関の権威が失墜しました。
さらに、患者の権利意識の高まりも加わって、
2000年代前半には医療訴訟件数が
急増していきました。
平井 世間の医療に対する不信を高めた
一因として、マスコミ報道もあるでしょう。
患者の死亡といった悪い結果が生じると、
すぐに医療機関の体質や医師の技量を
問題視し、“医療たたき”に近い報道を重ね、
世間の医療不信に拍車をかけた。
私は、「医療現場の実態が分かっていない」と、
憤りを感じながらいくつかの
ケースの報道を見ていました。
そんな中で医療界の不満が爆発したのが、
04年に生じた福島県立大野病院事件
(※4)だと思います。
産科医が臨床上標準的な医療を行ったのに
業務上過失致死罪に問われたことに対し、
医療団体など医療界全体が抗議しました。
この事件は、産科医が無罪となり検察も
控訴を断念したため、医療界は安堵しました。
実は産科医への刑罰についての判決以上に
われわれが注目したのが、
医師法21条に定められた
警察への異状死の届け出義務に関する
福島地裁の判断でした。
かつては、「医療過誤で
患者が死亡すれば必ず警察に
届け出なければならない」と思っていた
医療者は多かったのですが、
都立広尾病院事件で最高裁は異状死について、
「死体の外表に異状があった場合」と提起した
高裁判決を維持し、一定の方向性を示しました。
ところがそれでも、手術で腹部を切開していれば
「外表の異状」と考え、過誤がなくても
届け出なければならないのかなど、医療者が
判断できない部分が少なくなかった。
それが福島県立大野病院事件で福島地裁は、
患者の死亡の原因を「癒着胎盤」という
疾病と認定し、「過失なき医療行為を
もってしても避けられなかった結果なので、
異状と認められず届け出義務はない」
と、一歩踏み込んだ判断をしました。
つまり、「診療中の患者が診療を受けている
当該疾病によって死亡した場合は
異状死に当たらない」と判示したのです。
編集部注
※1:1999年に、患者2人を取り違えたまま
気付か手術を実施し、医師らの
注意義務違反が問われた事件。
※2:99年に、看護師が誤って消毒液を点滴し、
患者が死亡した事件。
異状死として届け出なければならない
事例の範囲も問題になった。
※3:2000年に雪印乳業の低脂肪乳を
飲んだ子どもらが嘔吐や下痢を
訴えたことで事件発覚。
最終的に約1万5000人が
食中毒になったと認定された。
※4:04年に、産婦が胎盤剥離の際に失血死し、
大量出血の恐れを認識しながら漫然と
胎盤を剥離したとして産科医が
検察に起訴された事件。
裁判所が異状死の
届け出義務についても言及した。
医療側の努力も訴訟減の一因
──福島県立大野病院事件の判決を境に、
医療訴訟の件数が
減少に転じたように感じますが。
平井 以前は、「医療は安全・安心なもの」
という幻想がありました。
そんな中、救急患者の“たらい回し”
事件などを機にマスコミも国民も
医療への不信感を強めたのです。
それが、医師不足など医療崩壊が
起きていることが、徐々に世間に認識されるように
なってきたのではないでしょうか。
実際、福島県立大野病院事件では、
逮捕された産科医が、医師不足のため
1人医長として勤務していた実態
などが広く知られました。
マスコミも一時期に比べると、“医療たたき”を
前面に出した報道をしなくなってきています。
桑原 医療側の医療安全への意識も
全く違ってきています。
横浜市立大事件を機に、医療ミスや診療に関する
患者との認識の違いを減らそうと努力する
医療機関が増えました。
万一医療事故が起これば、院内に調査委員会を
立ち上げて原因を調べる取り組みは
かなり一般的になっています。
患者に診療の方針や経緯を詳しく説明したり、
カルテに診療内容をしっかり書いたりすることも
医師の間に浸透してきました。
結果、「これはひどい」と感じるような医療事故が
減ったほか、医療側と患者側の事故に対する
認識の違いも埋まりつつあり、
訴訟に発展するケースが
少なくなっているように思います。
──患者が提訴する内容にも変化が見られますか。
桑原 裁判の争点は訴えた患者側が
設定することになるのですが、以前は、
医療側が「なぜこれで訴えられるのか」
と感じるおかしな争点がかなり多かった。
そうしたケースが最近ではだいぶ減っています。
患者側の弁護士もカルテを精査したり、
第三者の医師に相談したりして、
医療の実情を勘案して
争点を示すようになりました。
ただ、法曹人口の急増に伴い、医療知識が
あまりない弁護士が弁護を担当する例も増え、
的外れな争点が設定されて、
裁判で不毛な議論が延々と続くことも
依然としてあります。
弁護士の質によって二極化してきているのが
現状でしょうか。
平井 そうですね。単に
「患者はかわいそうだから助けてあげたい」
という思いから、安易に医療訴訟の
弁護を引き受ける弁護士もいます。
裁判の中で病院側が一番困るのが、
不毛な議論です。
医師はただでさえ忙しいのに、
それに付き合わなければいけないことほど
無駄なことはない。
その時間を多くの患者の診療に当ててもらいたい
というのが私の思いです。
弁護士も医療訴訟の弁護を手掛けるのであれば、
経験豊富な弁護士の指導を受けるべきです。
“トンデモ判決”は減ってきた
平井 裁判所も、医療者をどん底に陥れるような
理解しがたい判決を下さないでもらいたい。
医療者が「そんなことで裁判に負けるのか」
と思ってしまうと、萎縮医療につながってしまいます。
それはひいては、患者の不利益にもなるわけです。
桑原 雑談していると、
こんなことを言う医師がいます。
「提訴された裁判についての書類が
勤務先の事務部門から届くと、
非常にがっかりしてモチベーションが下がる」と。
本書では、裁判所がどのような根拠に基づいた
診療を重視して判決を下したのかを
分かりやすく解説したつもりです。
多くの医師が本書を読み、
常に「根拠」を意識しながら
診療に携わってもらえるようになれば、
私も執筆にかかわってよかったと思います。
また、医療者の教訓になる裁判例だけでなく、
教訓にならない判決を盛り込んだ点も
役立つと考えています。
──判決内容も以前とは
だいぶ変わってきているようです。
桑原 裁判官が医療側の主張に耳を傾けるように
なりつつあるように感じます。
患者の死亡といった悪い結果や理想論だけから
判断されたら医療側は負けてしまう。
それが最近は、医療側にも何か理由があって
こう判断したのではないかと、考えを巡らす
裁判官が増えているのではないでしょうか。
結果、“トンデモ判決”が
目立たなくなっているようです。
平井 ただ、“トンデモ判決”を下す裁判官は
依然として存在するのは事実です。
こうした裁判官は常に不可解な判決を出すようで、
そういう実態があることも本書には記しました。
──過失と医療事故との因果関係の考え方も、
この10年でだいぶ変わってきました。
桑原 昔は、医療行為が
医療水準に反しているかどうか、
つまり過失があるかどうかが裁判で
重点的に検討されていました。
ただ、過失があったとしても、それが原因で
患者が死亡するといった
悪い結果が生じたのでなければ、医療側は
法的責任を負う必要はありません。
この「因果関係」が認められるには、
過失によって悪い結果が生じたという
「高度の蓋然性」、つまり高い可能性
証明することが従来から求められてきました。
ところが、診療した時点では既に回復しがたい
疾患に侵されていた場合など、
患者側がこの「高度の蓋然性」を
証明するのはかなり困難が伴います。
それができなければ、患者側は全く
損害賠償を請求できなくなります。
そこで2000年代に入り最高裁が判決で
言及し始めたのが、
「相当程度の可能性」という理論です。
過失と悪い結果との間に
「高度の蓋然性」はないが、その可能性が
相当程度あると証明されれば、
数百万円程度の慰謝料を認めるとしたのです。
不可解な「相当程度の可能性」
平井 ところが、この概念が非常に分かりにくい。
「高度の蓋然性」といえば80、90%程度の可能性
と考えられていますが、それでは
「相当程度の可能性」は何%なのか。
20%なのか、50%なのか。
法律家である私たちも分からない。
最高裁は、「相当程度の可能性」を因果関係の
程度ととらえておらず、それ自体を新たな法益
と考えています。
「悪い結果を回避できた高い可能性がなくても、
その可能性があること自体が利益だ」と。
ただ、その利益があることを
どうやって証明するのかと考えると、
結局、過失がなければ悪い結果を回避できた
程度が何%あったのかが必要になっちゃう。
桑原 現実は、裁判所が「エイヤッ」
と決めているような感じですよね(笑)。
平井 医療行為に過失があったら、
それを放置していいのかという、
裁判官の思いもあったのでしょう。
桑原 「相当程度の可能性」理論が出て以降、
「和解を進めやすくなった」
と話していた裁判官がいました。
「落ち度があったのだから、因果関係が
証明できないとしても
多少の賠償をしてくださいよ」と、
医療側に言いやすくなったそうです。
平井 過失と結果の間に確固とした
因果関係がないんだから、
ある意味、感覚論ですよね。
2000年代以前に、適切な医療を受けることを
期待する権利が侵害されたとして、
若干の損害賠償請求を認める「期待権」
理論がありましたが、「相当程度の可能性」
はその理屈を変えた感じでしょうか。
でも、かえって分かりにくくなった
と私は思います。
医療裁判をするときには、
患者側は弁護士費用など
それなりのコストをかけています。
悪い結果との関係はともかく、落ち度のある
医療行為を行った医療側が、その経費を補填しても
いいのではないかという感覚があるようです。
「相当程度」の適用は拡大?
平井 今後は、「相当程度の可能性」
理論がどのような悪い結果まで
適用されるのかが問題でしょう。
桑原 現在は患者が死亡した場合と、
重大な後遺障害が残った場合に適用された
最高裁判例がありますが、
より軽度な後遺障害にまで
対象が広がる可能性もあります。
平井 東京地裁の裁判官が、
「重大な後遺障害に限らず後遺症が発生した
場合でも、『相当程度の可能性』が証明されれば
適用していいのではないか」
と書籍に記しています。
これを考慮すると、医療行為を受けた患者に
何かしらの実害があれば適用される
可能性はあると思われます。
ただその場合、後遺障害の程度が
何等級までなら認めるのか、ミスと思わしき
医療行為があったら軽微な後遺障害でも
損害賠償の対象となるのか
──などの問題が残ります。
桑原 適用される範囲に限度が
なくなる可能性もありますね。
──今後のその行方によっては、医療訴訟の
件数がまた増えていく可能性はありますか。
平井 軽微な後遺障害であれば、
過失と悪い結果との因果関係が
認められても損害賠償額は
それほど高くはなりません。
だとすれば、仮に「相当程度の可能性」
理論の対象が広がっても、軽微な後遺障害では
患者側の訴訟費用を補填できるほどの
賠償額になるとは考えにくいので、患者側が
提訴しようと考えるのは
どこかで限度があると思います。
しかし、対象範囲があまりにも広がり、
例えば後遺障害が発生しないときでも、
医療側がやるべき医療行為を
しなかったからといって賠償責任が
認められてしまうと、悪い結果の有無を
問わないことになってしまう。
これはかなり恐ろしいことではないでしょうか。
こうした判断をしないように、
裁判官にはお願いしたいと思います
(後編に続く)。
(2010年10月18日東京都内で収録)
『日経メディカル、2010. 12. 9』
記事にも書いてありましたけど。
医療訴訟自体は、昔からあるんだけど。
マスコミ等で全国に広まって有名になったのは、
1999年に起きた横浜市立大事件と
都立広尾病院事件の後。
その後、いろんな医療訴訟が起きて。
マスコミの医師叩きもひどくなって、
一番ピークになったのが、2004年の
福島大野病院の事件だと思います。
その後、医師ブログ等で仕方ない、
等の意見が徐々に出てきて。
救急車の「たらい回し」とか、
そういう言葉もはやったんだけど。
結局、原因なのは医師不足とか医療費不足。
そういうのもあって、現場は大変なんだ。
という事が徐々にマスコミでも報道されて、
世間にも広まってきた。
そして、医療訴訟やトンデモ判決も減ってきた、
という事なんだと思います。
最近は、「某大新聞」 v.s. 「某有名大学」
とか、そういうマニアックな戦いが
一部では盛り上がっているようですが。
それも訴訟がらみではありますけど、
基本的には医療訴訟とは違いますしね。
自宅で分娩していろいろあって、
最後に助けようと思った病院が悪者にされている、
っていう医療ネタはありますけど。
まだ訴訟にはなってないみたいですし。
医療訴訟、医療ネタの話というのは、
新聞やテレビ、ネットの記事になっているのを
我々医療関係者が見て、それを解説する。
というのが、医師ブログの基本スタンスなんですけど。
一番ネックになるのは、情報不足なんですよ。
結構、医療関係者のネットワークというのがあるから、
記事になっていない情報が入ってきて、
それも参考にしてブログの記事を書く、
という事もあるんですがね。
それでも、どこまで信用して良いのかわらない、
というのがあって、なかなか難しいんですよね。
自分でも、今更ながら、良く書いてたな、
と思いますね、ホント。
今でも、バリバリ毎日の様に記事を更新している
医師ブロガーもいますけど。
尊敬しちゃいます。
絶対、すごい忙しいと思うのにね。
個人的に、医療訴訟で一番記憶に残っているのは、
「福島大野病院」の事件です。
担当の医師が無罪判決を勝ち取ったのは、
約3年前なんですけど。
この時に、裁判所には入れませんでしたけど、
福島地裁まで行きましたからね、私。
それと、ブログが炎上した「奈良大淀病院」の件。
今、どうなっているんでしょうか。
ちょっと、良くわかりませんけど。
この2つが個人的には、最も印象に残る
医療訴訟の事件です。
どちらも、医療崩壊が最も進んでいる、
と言われている「産科」の話だ、
というのは偶然ではないと思います。
ちなみに、この記事で取り上げられていた本。
「医療訴訟の『そこが知りたい』」
これ、かなりおもしろいので、
皆さんも是非読んでみてね!
ちょっと高いけど。
「医療訴訟の『そこが知りたい』」
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